鰻谷の「家並の今昔」1
昭和17年5月(1942)刊行の「鰻谷中之町の今昔」より編集して、当時の六十歳前後の方達数十人よりお聞きした明治30年代
(約100年前)の家並職業図と現代の街並を対比致しました。

古い職業名  
【三臓圓】 人参三臓圓は全国にその名をなした。享保十一年(1727)には既に発売。
鰻谷では最古の家柄。然しながら真に三臓圓の名をして全国的ならしめ、家業を磐石の安きに置いたのは四代目の寛斎さんだと言ひます。當時にしては珍しい駱駝を買入れて市中を乗廻したり、江戸へ送る荷物を飾りたてゝ驛々につく時間を一定させ、「ソラ三臓圓の馬が通る、もの何刻だ」といふ風にしたなど中々宣傅のうまい人でありました。黙阿彌の金看板侠客本店(たてしのほんだな)の序幕は三臓圓支店の店先の場で、當時江戸にもこんな金看板は珍しかつたからの趣向であります。
左図は当時の金看板。  「鰻谷中之町の今昔」より
【悉皆屋】 江戸時代大坂で衣服、布帛の染色・染返しなどを請負、これを京都に送って調製させる事を業としたもの。
【しもたや】 「仕舞屋」もと商家であったがその商売をやめた家。 以上二件「広辞苑」より
【あるき】 江戸時代庄屋などの雑用、走り使いに使はれた人。(小使い)「古語辞典」より

京坂巨戸の表構 (守貞漫稿より

京坂中小戸 (守貞漫稿より)

京坂小戸と路次の図 (守貞漫稿より)1
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